2018年03月05日
一般質問で、松本城の赤い橋(埋橋)を渡れるようにできないか、その可能性についてお聞きしました。
こんばんは、最年少松本市議会議員の青木たかしです。
本日、2月定例会で一般質問に登壇しました。
ひとつずつ、結果を報告していきます。
松本城埋橋を立ち入りできるようにすることについて
松本城西側にかかる赤い橋、埋橋について、その活用の在り方をお聞きしました。詳細はこちらの記事にあるとおりです。
教育部からは、
松本城とその周辺を幕末・維新期に復元する方針を決めているが、埋橋は観光客や市民に親しまれ、定着していることは確かであり、その活用については文化庁とも相談しながら、立ち入り可能とするかどうか慎重に検討していく
という答弁が有りました。
今回は問題提起ということで取り上げさせていただきましたが、これからもその在り方について、議論していきたいと考えています。
以下、質問の原稿です。
3,松本城埋橋について
(1)復元の考え方について
松本城は菅谷市長の決断によって、南・西外堀の復元に着手し、市としても世界遺産登録を目指す中、松本城を中心とした歩いて暮らせるまちづくりを進めています。
お城や寺社仏閣など、史跡を復元するにあたっては、どの時代においての復元とするのか、しばしば議論となります。2012年に復元工事が完了した東京駅も、創建された1914年の姿に戻すか、空爆で破壊された後に修復した1947年の姿にするのかが問われたといいます。
まずは市として、松本城とその周辺をどの時点での復元とすることを考えているのか、市の考え方を伺います。
(2)埋橋を立ち入り可能とすることについて
埋橋は60年前、昭和の大修理にあわせて、当時の松本市議会の提案により、観光振興・景観向上の目的で設置された橋であり、江戸時代や市の設定する幕末・維新期から存在するものではありません。
平成23年6月30日に発生した松本地震の際に、埋橋を渡った先にある埋門の石垣が被害を受け、崩落の危険性が生じたことから通行止めとなっています。
その後、回遊性の観点からの地元要望もあり、天守への入場は黒門で一本化することとなり、今でも通行止めとなったままになっています。
一方で、市民と観光客からすると、60年間架けられている馴染み深いものとなっており、松本地震が発生した7年前までは通ることが出来ていたため、その開通を望む声をよくお聞きします。
つい先週の話ですが、松本城西側の駐車場に車を停めて、お城公園内を通って市役所まで歩いていた所、観光客と思われる二人組のうち、一人が黒門から埋橋前まで様子を見に来ていたようで、「こっちの橋は渡れないみたいだ」と残念そうに話している光景を見かけました。
また、松本城を写した写真といえば、この赤い埋橋をワンポイントとして、天守閣をセットにした構図がよく撮影され、お城愛好家をはじめ、全国的にもひろく認知されている風景であると言えます。
そもそも、この橋が架けられたきっかけを考えれば、60年前当時の松本市議会の発案ということで、松本市政発展の一端でもあり、松本市における昭和の歴史の一節とも捉えられるわけですが、この橋について、松本城を中心としたまちづくりの一環として、再度通行できるよう市として判断することを提案します。
渡った先にある埋門の石垣耐震化や券売所設置などの課題もあるため、埋橋の途中まで、立ち入りのみ可能とすることが当面の目標であると考えていますが、そうなればお城の魅力も一段と高まり、人気の撮影・ビュースポットとして観光客にもPRできるように考えます。
見方を変えたときに、これから100年も経過すれば、この埋橋にかぎらず、昭和期の建築物も史跡・文化財として指定されていくのではないかと推測されますが、この埋橋を立ち入り可能とすることについて、市の見解を求めます。
以上です。それでは、また明日。
■
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本日、2月定例会で一般質問に登壇しました。
ひとつずつ、結果を報告していきます。
松本城埋橋を立ち入りできるようにすることについて
松本城西側にかかる赤い橋、埋橋について、その活用の在り方をお聞きしました。詳細はこちらの記事にあるとおりです。
2017/05/17
2017/05/23
教育部からは、
松本城とその周辺を幕末・維新期に復元する方針を決めているが、埋橋は観光客や市民に親しまれ、定着していることは確かであり、その活用については文化庁とも相談しながら、立ち入り可能とするかどうか慎重に検討していく
という答弁が有りました。
今回は問題提起ということで取り上げさせていただきましたが、これからもその在り方について、議論していきたいと考えています。
以下、質問の原稿です。
3,松本城埋橋について
(1)復元の考え方について
松本城は菅谷市長の決断によって、南・西外堀の復元に着手し、市としても世界遺産登録を目指す中、松本城を中心とした歩いて暮らせるまちづくりを進めています。
お城や寺社仏閣など、史跡を復元するにあたっては、どの時代においての復元とするのか、しばしば議論となります。2012年に復元工事が完了した東京駅も、創建された1914年の姿に戻すか、空爆で破壊された後に修復した1947年の姿にするのかが問われたといいます。
まずは市として、松本城とその周辺をどの時点での復元とすることを考えているのか、市の考え方を伺います。
(2)埋橋を立ち入り可能とすることについて
埋橋は60年前、昭和の大修理にあわせて、当時の松本市議会の提案により、観光振興・景観向上の目的で設置された橋であり、江戸時代や市の設定する幕末・維新期から存在するものではありません。
平成23年6月30日に発生した松本地震の際に、埋橋を渡った先にある埋門の石垣が被害を受け、崩落の危険性が生じたことから通行止めとなっています。
その後、回遊性の観点からの地元要望もあり、天守への入場は黒門で一本化することとなり、今でも通行止めとなったままになっています。
一方で、市民と観光客からすると、60年間架けられている馴染み深いものとなっており、松本地震が発生した7年前までは通ることが出来ていたため、その開通を望む声をよくお聞きします。
つい先週の話ですが、松本城西側の駐車場に車を停めて、お城公園内を通って市役所まで歩いていた所、観光客と思われる二人組のうち、一人が黒門から埋橋前まで様子を見に来ていたようで、「こっちの橋は渡れないみたいだ」と残念そうに話している光景を見かけました。
また、松本城を写した写真といえば、この赤い埋橋をワンポイントとして、天守閣をセットにした構図がよく撮影され、お城愛好家をはじめ、全国的にもひろく認知されている風景であると言えます。
そもそも、この橋が架けられたきっかけを考えれば、60年前当時の松本市議会の発案ということで、松本市政発展の一端でもあり、松本市における昭和の歴史の一節とも捉えられるわけですが、この橋について、松本城を中心としたまちづくりの一環として、再度通行できるよう市として判断することを提案します。
渡った先にある埋門の石垣耐震化や券売所設置などの課題もあるため、埋橋の途中まで、立ち入りのみ可能とすることが当面の目標であると考えていますが、そうなればお城の魅力も一段と高まり、人気の撮影・ビュースポットとして観光客にもPRできるように考えます。
見方を変えたときに、これから100年も経過すれば、この埋橋にかぎらず、昭和期の建築物も史跡・文化財として指定されていくのではないかと推測されますが、この埋橋を立ち入り可能とすることについて、市の見解を求めます。
以上です。それでは、また明日。
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